テックボール選手/友近萌美

女子サッカー

テックボール女子日本代表を目指す友近萌美さんに現在に至るまでの苦悩なサッカー選手としての人生を振り返っていただきました。少しだけ今後の展望もお話いただきました。

友近萌美プロフィール

友近萌美(トモチカメイミ)
1992年2月10日生まれ A型みずがめ座

1999~2004 赤土FC
2004~2007 北区さくらガールズ
2007~2010 聖和学園/宮城県
2010~2012 関東学園大学/群馬県
2012~2016 アメリカンインターナショナルカレッジ
2016~2017 FFNMG(フットフェミニニームメトロガード)/フランス2部
2017~2017 FCベンデナイム/フランス2部
2017~2018 岡山湯郷Belle/日本女子3部(当時)
2018~2019 ディアボロッソ広島
2019~2020 東京ヴェルディフットサルボレイロス


【友近萌美オフィシャルサイト】

幼少期

地元のサッカークラブに8歳の頃に入団することがきっかけで将来はサッカー選手になりたいと思うようになりました。小学校の頃は女子ではなく男子と外で遊ぶことがとにかく楽しかったです。サッカー以外にはピアノや習字等の習い事をしてましたが、常に頭の中はサッカーのことばかりでした。努力の甲斐もあって小学校時代では、女子荒川区トレセンに選ばれました。

学生時代

15歳までである程度サッカーに対して自信がついていたので高校はセレクションを受けて聖和学園に進学することができました。全国でベスト16までいくことができました。この時の高校のサッカー関係者を通して関東学園大学サッカー部にまで行くことができましたがここで最初の挫折が訪れました。まさかのベンチにも入れず、気づけば居場所は4軍でした。苦悩の日々でした。ただ周りの選手が私よりも上手だったのもまた事実ですね。

アメリカの大学

大学在籍中(2年間)は4軍にいて試合に出れない分サッカーと向き合う時間ができました。これがある意味今思えばよかったかもしれません。サッカーと向き合っているときによぎる子供の頃に描いた夢【サッカー選手】
思い切って海外に身をおき1から挑戦してみようと思いました。すぐに母親に相談して14日間のアメリカサッカーツアーに問い合わせしてアメリカに行くことになりました。そのツアーでは日本から行く女子学生がアメリカの小規模の大会にでたり大学で練習したりするものでした。当時のアメリカンインターナショナルカレッジの監督の目にとまりそこでスカウトをされたことがきっかけで私の海外挑戦と、海外生活の戦いが始まりました。

フランスサッカー挑戦

今思えば日本のサッカーより海外のサッカーの方が私には性にあっていたのかもしれません。大学在籍期間はずっとスタメンで使ってもらっていました。とても幸せな時間でした。ただ、大学卒業するときにプロ女子チームからオファーは一つもありませんでした。このまま日本に帰りたくないと思い当時知り合ったフランスのエージェントを通して自分のプレイ動画やサッカー履歴書を複数のフランスのクラブに送り、なんとかフランス2部のチームの練習に参加できることになり選手として受け入れてくれることになりました。サッカー選手という職業が夢でしたがまさか異国の地で夢をかなえるとは小学校時代の私には想像できなかったでしょう。

フランス2部で苦悩

フランス2部でサッカー選手としてデビューできたもののとても華やかなデビューではありませんでした。なかなか試合にはでれず寿司屋でアルバイトしながらの生活でした。アメリカからフランスにきて言葉の壁ももちろんありましたが、日本で積み上げてきた大学までのサッカーが海外ではまったく役にたちませんでした。日本はサッカーを綺麗にやろうとしますが、海外では本当に泥臭く、サッカーなのかラグビーなのかわからなくなるぐらい激しい削り合いのものでした。スパイクを相手に強く踏まれることは日常茶飯事でひどい時だとゴール前で倒れたしまった私をリンチかのうようなタックルや蹴りが飛んできた事もありました。サポーターの熱量も全然違く、試合=お祭りみたいな感じでした。試合にでれず1シーズンが終わるころに出場機会を求めて、移籍先を探し同じフランス2部のFCベンデナイム(ストラスブール)に行くことが決まりました。新天地で新たな気持ちでチームメイトとともようやくなれ、試合にも少しづつ出場するようになれた丁度いい時に左太ももに怪我をしてしまい所詮は女子2部のチームですのでこんな私をチームは置いておく余裕もなく退団する事になってしまいました。次の移籍先が決まらず住む場所もままならない私は日本に帰るという決断をせざるを得なかったです。

帰国

帰国し怪我が完治するまではサッカー関係者からの紹介でフットサル台場のスタッフをさせていただくことになりました。ここで衝撃のスポーツに出会いました。後々にこれがテックボール知りますが初めて見たときは異様な光景でした。それは、少し山型の変な卓球の台みたいな物の上でサッカーボールが行き交うものでした。思っていた以上にルールが細かくなかなか難しいスポーツでした。ただこの時はサッカー選手としてまだまだやっていくつもりだったのでそんなに深い興味は持ちませんでした。

日本でのサッカー生活

怪我が完治した後も海外で選手としてやっていく夢を追い続けました。イタリア1部のチームに行くことが目標でしたが、韓国のトライアウトを受けてだめで、そのあと日本女子3部に行って腰の怪我で長期離脱、ディアボロッソ広島で1シーズン過ごしてイタリアのトライアウトの話がきたので受けようとしていたが新型コロナウイルスの影響で国外にでるのが厳しくなり、東京ヴェルディのフットサルチームの選手兼コーチとして1年間勤めました。ここまで振り返ると本当に安定しないサッカー人生です。気づくとベテラン選手の年齢になってしまっていました。

テックボール

東京ヴェルディフットサルでの選手生活を終えてからはサッカー以外の仕事が生活の中心なりつつありました。というかそうしないと生活ができない状態でした。夢を諦めて現実を受け止めなくてはいけない時がきたのかとも思いました。そんな時、とあることでまたフットサル台場で出会ったテックボールをやるきっかけがありました。久しぶりにテックボールをしながら軽く汗を流した時、子供頃にサッカーで楽しんでいた自分が蘇ってきたような気がしました。またボールで遊びたい。もっとボールで遊びたい。現役のサッカー選手としては難しい状況ですがこのテックボールというスポーツを世に広めていきながら楽しくテックボールの選手として世界に羽ばたいていけたら面白いのでは?とも思い新しい挑戦としてテックボール選手になることを決意しました。

テックボールプレイ動画

今後

現在はテックボールの練習をしながらアルバイトとLGBTスピーカーとなりほそぼそと生活しています。お陰様で少なからず支援していただける方もいて楽しくテックボールをさせていただいてます。今後は自身のHPやSNSを通じて幅広い人たちにテックボールの楽しさを伝えながら日本代表をめざしていきたいと思います。いずれにしても夢は今後も追い続けていく人生にしたいですね!!

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